『湯 祈 祷 祭』 をクリックすると動画が見えます。
 始めに道後温泉本館屋上に設けられた小祠の前で源泉祭を行い、次いで本館北側にある少彦名命が躍った「玉の石」の前に祭壇を設え、神籬にお神降ろしをして各ホテルに分湯された初湯を竹筒の桶に汲み供えて、市長を始め地元の代表者、各ホテルの経営者たちが羽織袴で参列し を執り行い、 する。
  次に、そこからダイバと神職、湯釜をかたどった神輿を先頭に、先ほどの面々がそれぞれ青竹の湯桶を持って し、湯神社正面の 湯神社拝殿に昇殿し、青竹の湯桶をお供えして を行い、お札を戴き持ち帰り日々お湯の恵に感謝し湯の郷の安泰を祈願する。まさに神話に直結した祭である。

道後温泉本館

 脛に傷をして苦しんでいた一羽の白鷺が岩場から噴出する温泉を見つけて足を浸していたところ、傷は完全に癒えて元気に飛び去った。これを見た人たちがそれを大変不思議に思って入浴してみると、非常に爽快で疲労を回復し、また病人もいつの間にか全快したことから盛んに利用されるようになったという伝説が残っており、その歴史は3000年にもなる。温泉の効能は霊験あらたかにして、今でも疾病に苦しむ人たちの病を癒し健康を保つと言われている。景行天皇と后、仲哀天皇と神功皇后、聖徳太子、舒明天皇、斉明天皇と天智天皇・天武天皇が行幸された。

「玉の石」

 大国主命と少名彦命が伊予国を二人で訪れた際、少彦名命が急に気分が悪くなって寝込んでしまい、その少彦名命を助けようとして、大国主命が大分の速見の温泉を引き湯あみさせたところ、不思議によみがえり、少彦名命は喜びの余り、側にあった石の上に立ち「しばらく昼寝をしていたようだ」と叫び、その上で舞ったという伝説がある。この少彦名命が躍った石が、この道後温泉本館北側にある「玉の石」である。

温泉祭り

 宝永4年(1707)10月、地震で道後温泉の湧出が止まってしまった。困った人々が温泉の守護神である大国主命と少彦名命の2柱を祭る湯神社に祈願したところ、翌年の1月29日に湯が出始めたことから道後に住む人々は感謝し、この日を記念として毎年湯祈祷祭を行い湯の神に感謝するとともに町内の繁栄を祈った。
  これが湯祈祷と呼ばれる祭りの起源であったが、その後嘉永7年(1854)1月5日の地震で再び湧出が止まり、湯神社で祈願すると翌年2月22日に再び湧出し始めたので、以後この日に湯祈祷を行うようになる。また、この頃から玉の石前に神輿を迎え、神楽を奏す様になり明治45年(1912)頃から太陽暦の3月21,22日の間に定まった。
  しかし、2度あることは3度あると言う。昭和21年12月21日南海大地震で温泉が止まってしまった。道後の人々は温泉が復活することを祈願したところ、その願いが届き、38日後には湯が再び湧出したので町人は喜んで感謝した。奇跡的に三度源泉が沸きはじめたことを感謝し、昭和22年(1947)3月湯の町をあげて温泉再生を喜び湯祈祷と祝賀行事を行い、以後これを本格的行事として、昭和25年3月以来「温泉祭り」に、58年4月から「松山まつり」の中の行事として実施されている。