〈由  緒〉
【主 祭 神】
 大己貴命(大国主命)、少彦名命
【配  神】
 相殿(出雲崗神社)素盞鳴命、稲田姫命   
【沿 革】
 湯神社は人皇十二代景行天皇の御勅建で、大己貴命・少彦名命の二神を奉斎する名社です。創建当時は鷺谷の大禅寺の前にあったといわれていますが、地震のため温泉埋没の際、現在の冠山の出雲崗神社の境内に奉遷し、合祀して四社大明神と称し、舒明天皇行幸のとき、勅により神殿を新築したと旧記に記されています。国司領主の尊崇篤く、神田、幣帛の奉献がありました。
  又御相殿の出雲崗神社は、素盞鳴命・稲田姫命を奉斎し、人皇七代孝霊天皇の御創建で、湯神社と共に延喜式内の名社ですが、一時期右二社を御相殿に奉戴し、宝永五年に藩主の命で、境内に別社となりましたが、明治四年再び相殿となりました。
 その後、時代の変革により冠山が整備され、湯神社も新築されました。
 ※写真をクリックすると神社の古い写真が見えます。
【境内社】

 境内社の児守社は、往古、松山城東麓にありましたが、築城の際、湯神社の末社河野霊神に合祀されました。御祭神河野通広は時宗の開祖一遍上人の父であり、遊行法師が回国の時には必ず参拝を行い、その都度領主は社殿を造営整備したといいます。鎮疫神は、安政六年悪病流行につき鎮疫のために勧請されました。
  そのほか中嶋神社があります。四国四縣の菓子業者が菓祖田道間守命を奉斎し創建されました。
  ※写真をクリックすると古い写真の奥側に旧中嶋神社が見えます。

【特殊神事】
 湯神社では、古くから初子祭が毎年旧暦十一月の子の日に盛大に行なわれ当日は参拝者で大変賑わいました。(現在は一月の第二日曜日に行われています。)起源は大己貴命が鼠に救われたという「古事記」の古伝説から、鼠を十二支の子に結びつけた事に基づいたとも云われています。また社殿建立の日、修理の始まる日なども、すべてこの由緒によって子の日を選んで施行されました。
  また源泉が地震で埋没して止まった時、湯神社の神前で神楽が奏せられ、温泉の再湧出の祈願が繰り返され、さらに温泉の復興を感謝する為に湯祈祷祭が盛大に行われました。現在、この湯祈祷は道後温泉祭に形を変え、毎年三月十九〜二十一日に行なわれ、観光松山の春の先駆けとなっています。
  ※写真をクリックすると初子祭人出の様子が見られます。